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村上春树小说和同名店铺(图)

2016-10-11 09:28:32来源:asahi

  新东方在线日语网为大家带来村上春树小说和同名店铺(图),希望对大家日语学习有所帮助~

  「ああ、おれはついに村上春樹と同じ場所に立てたんだ」。2007年の夏、劉振南(37)は、東京・目白の学生寮「和敬塾」屋上にある給水塔に上った時、強くそう実感した。

  和敬塾は、早稲田大文学部時代に村上が半年ほど暮らした学生寮で、長編「ノルウェイの森」に登場する寮のモデルとされる。物語序盤のクライマックス、恋人に去られた主人公は寮の給水塔に上り、弱った蛍をそっと放す。劉は、主人公がその時に見た東京の風景と、自分の今見ている景色がまったく同じことに気づき、感激したのだった。

  劉は台湾大を卒業後、05年に村上に憧れて早稲田大に留学した。村上が住んでいた和敬塾の部屋は07年に取り壊されたが、その部屋の最後の住人となったのも劉だった。

  「村上作品の主人公たちは世の中と適切な距離を取り、自分なりの嗜好(しこう)や世界観を確立している。それが、生き方を見失っていた自分のモデルにもなった」と話す。その後台北に戻り、現在は芸術系映画の監督・脚本家として活動中だ。

  そんな劉が学生時代、村上作品を読む時のBGMとしていたロックバンド「1976」のボーカリストが、台北市のカフェ「海辺のカフカ」のオーナー、陳瑞凱(40)だ。村上の小説と同じ店名にしたのは、ファンの客を当て込む、というよりも、自分の生き方に最も影響を与えた作家を記念してのことだという。

  劉や陳を含む30歳代後半から50歳代にかけての年齢層は、台湾でも特に熱烈な「村上世代」とされる。

  1987年、台湾では40年近く続いた戒厳令が解除され、それまで制限されていた海外の文学や音楽、生活習慣などが一気に流入した。同じ年、日本で「ノルウェイの森」が刊行され、ほどなく台湾でもベストセラーに。村上作品はそれ以来、強い影響力を持ち続けている。

  陳は「80年代末から90年代にかけて、僕たちにとっての村上は『世界を見るための窓』だった。ベースボールの楽しみ方、ウイスキーやワインの銘柄、ビートルズやブルーノートジャズ。すべて村上に教わった」と振り返る。

  村上作品の多くの登場人物は、さまざまな音楽や料理、ブランド品に精通し、巧みに生活に取り入れる。その一方で、消費に過度に依存せず、世の中の動きに流されないしたたかさを持つ。

  台湾で村上作品の出版を独占する「時報出版」の担当編集者、嘉世強(41)は「戒厳令が終わり、いきなり『高度消費社会』に投げ込まれた台湾人にとって、村上の作品は憧れのライフスタイルの象徴となった。その傾向は今も変わらない」と分析する。社長の趙政岷(55)は「出版契約にかかる費用は高騰する一方だが、自社のブランドイメージを維持するため、村上作品は欠かせない存在だ」と話す。

  台北市郊外の私立淡江大学は2014年、世界でも初めての「村上春樹研究センター」を設立した。4人の研究者が所属し、教養課程に開設された「村上春樹講座」は、70人の定員をはるかに上回る学生が受講を希望する。センター長の曾秋桂(54)は「文学研究だけにとどまらず、日本語研究、社会学、心理学、図書館学、経済学などあらゆる角度から村上春樹とその作品に迫る『村上春樹学』を目標にしている」と意気込む。

  今や「ノルウェイの森」というラブソングやラブホテル、村上の名前にちなんだ建売住宅や民宿まである台湾だが、中でも村上の存在感を示すのは、村上自身の造語である「小確幸」という言葉だ。文字どおり「小さいけど確かな幸せ」という意味で、今や会話や広告で普通に使われ、日常語として完全に定着した。

  ただし、その使われ方は村上の本意とは異なる。村上はエッセーの中で、小確幸について「我慢して激しく運動した後に飲むきりきりに冷えたビールみたいなもの」で、「多かれ少なかれ自己規制みたいなものが必要とされる」と説明する。

  だが、台湾の「小確幸」にそんなニュアンスはない。政府が定めた休日が増えるのも、預金の金利が上がるのも、小確幸だ。「台湾では戒厳令後も、個人より社会・国家を第一に考える傾向が根強い。それに反発し、市民が自由に自分の幸せを求める気持ちを表すスローガンが『小確幸』だ」と曾は話す。小確幸の意味合いは、台湾での村上文学の受け止められ方にどこか似ている。


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